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感想:スティーヴ・トルツ著『ぼくを創る要素のほんの一部』

 『ぼくを創るすべての要素のほんの一部』は、オーストラリアの作家、スティーヴ・トルツによる長編小説です。ブラックユーモアをまじえて語られる、常軌を逸した(変人)父子の壮大な物語です。


 こうして小説は始まります。

 悲惨な事故で嗅覚を失ったスポーツ選手の話は聞いたためしがないが、それは理由あってのことだ。今後の人生に生かしようのない苦々しい教訓を宇宙が僕たちに授けるためには、スポーツ選手は脚を、哲学者は頭脳を、画家は目を、音楽家は耳を、料理長は舌を失わなくてはならない。おまえはどうかって? ぼくは自由を失って、この妙ちきりんな牢獄にいる。

 こう語り始めるのは物語の中心人物の一人、ジャスパー・ディーン。ちょっと哲学的な語り口です。もう一人の中心人物はジャスパーの父親であるマーティン・ディーンです。語りはジャスパーだけではなく、マーティンの手記という形でも差し込まれます。マーティンの語りもかなりの分量を占めているので、息子ジャスパーの物語であると同時に、父親マーティンの物語でもあります。

さまざまな人生の矛盾

 父マーティンは頭脳明晰でありつつも、さまざまな思考が矛盾して混在する哲学家であり思索家。ひっきりなしに考えが浮かぶものの生活に役立つことはありません。人生の大半を無為に過ごしていると本人は感じています。息子のジャスパーに言わせれば“ろくでなしの変人”。ですがある面では父親を尊敬してもいます。学校の教育は“無意味”と批判して常軌を逸した独自の方法で息子を教育するものの、学校に行くことは大事だと息子には学校をやめさせようとしません。矛盾した方針の下、息子は父のようにはなりたくないと思いつつ、意に反して父のようにひねくれた人間に仕上がっていきます。

 一人の人物の中における矛盾した思考、矛盾した言動や行動をありのままに描いてるところが面白さの一つです。矛盾を認めつつ受け入れる、ということが人生哲学のようになってしまっています。

壮大な物語と自我との対峙

 ジャスパーの叔父であり、マーティンの弟であるテリー・ディーンは全オーストラリアを騒然とさせる事件の首謀者です。一部のオーストラリア国民からは英雄扱いされています。このテリーの存在がマーティンを苦しめてもいます。“テリーの兄“という存在としてしか認識してくれないからです。

 マーティンはこう悩みます。

わたしはだれなのか? どうして自分を定義できる?

 マーティンの思考は複雑で矛盾しています。もしかしたらこう問いかけもするかもしれません。「そもそも自分を定義することに意味はあるのか」。人間はいつかは死ぬ存在であることもマーティンを悩ませています。

 テリーの犯行やマーティンが巻き込まれる事件など、派手な出来事をきっかけに話が展開する一方、より詳細に語られるのはマーティンやジャスパーの思索、内面との対峙です。単に自我の話だけに終始すると物語が単調になり、哲学書のように小難しい話にもなってしまいますが、派手な出来事と登場人物の内面をからめて語られますから、全体を通してとても面白く読むことができます。

錯綜する視点

 ジャスパーの語りが中心ですが、マーティンの語りも織り交ぜられています。面白いのは同じ出来事について双方の語りが取り入れられていることです。ジャスパーの語りの後に同じ対象についてマーティンの語りが入り、実はジャスパーとマーティンの見方は全く違っていた、といったことも判明します。視点によって事実は全く異なることを反映しているという点で面白い構成になっています。

 ハードカバーで600ページほどありますから長いことは長いです。ただリズムよく場面が切り替わり、語り口はユーモアに富んでいて面白いので、好きな人は最後まで飽きずに読めるのではないかと思います。