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ポール・オースターの小説が面白い理由 破滅志向の奥深さ

常識にとらわれない

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wikipediaより

 ポール・オースターは現代アメリカ文学を代表する小説家、詩人です。アメリカ文学好きな私にとっても大好きな作家の一人です。1947年生まれですから、2020年現在ではもう70代になっています。

 アメリカの名門コロンビア大学を卒業後、作家として成功するまでポール・オースターはさまざまな活動をしています。といっても、華々しい活動ではなく、いずれも泥臭く「名門を卒業した人がなぜ?」と思うようなことばかりです。例えば大学院終了後にタンカーの乗組員として船乗りになっています。そしてフランスにわたって翻訳で生計を立てたり、米国に戻ってからはアナログな野球ゲームの開発をしておもちゃ会社に売り込んだりもしています。作家として成功するまで「常にお金の問題があった」と、自伝の中で語っています。

 無謀ともいえるさまざまな経験を経たからこそ、面白い小説を次々と発表できるようになったのでしょうか。おそらくその経験と無縁ではないはずです。私がポール・オースターの作品を好きなのも、物語の主人公に破滅的な傾向があり、日常の生活から逸脱した面白さを見せてくれるからでもあります。

破滅的な物語

 例えば代表作の一つ、『ムーン・パレス』を見てみましょう。物語の書き出しはこうです。

それは人類がはじめて月を歩いた夏だった。そのころ僕はまだひどく若かったが、未来というものが自分にあるとは思えなかった。僕は危険な生き方をしてみたかった。とことん行けるところまでいって、いきついた先で何が起きるか見てみたかった。

 どうでしょう。若い頃から常識にとらわれない生き方をしてきた作家自身の考え方が書き出しに表れているかのようです。もちろんムーン・パレスはフィクションですからそうとは言い切れません。ただ彼の作品には、どのような生き方をすれば正しいと言えるのか、それには答えがないのだ、と考えさせられる要素がたくさん含まれています。破滅的な物語を読んで一時的にでも日常生活から抜け出したい、と思う人は是非ムーン・パレスを読んでみてください。

ムーン・パレス (新潮文庫)

ムーン・パレス (新潮文庫)

物語の中に物語

 ポール・オースターの作品を特徴づける要素はいろいろあります。破滅的な要素はその一つでしかありませんし、全ての作品にその傾向があるわけではありません。

 物語の中に物語が入っていることも、ポール・オースターの作品の中に多く見られる特徴です。これはどちらかというと小説の形式的な話です。マトリューシカを思い浮かべるとよいでしょう。物語を開いたと思ったら、その中にはまた別の物語が入っていて、場合によってはさらに別の物語が展開します。小説の基本形は視点をどこか1点に絞って、あるいはただ一人の主人公の視点から世界を見ることですが、その視点が混在しているといってもいいかもしれません。『オラクル・ナイト』をはじめいくつもの小説の中にその技法が使用されています。

 私は、これはある意味では世界を客観的にとらえる手法なのではないかと感じます。もちろん私たち自身、世界を自分の視点でしか見ることはできないのですが、自分の視点ではとらえられないところで世界は動いています。世界の動きと自分は無関係だ、と言い切ることはできませんが、世界を自分以外の視点で把握することは非常に困難です。その意味では、物語の中にさらに物語があるというのは、自分という存在から脱して世界を見る面白さがあるのです。ポール・オースターの小説については語るべきことがたくさんありますので、また別の機会に紹介したいと思います。

翻訳版の面白さ

 それとポール・オースターの小説を紹介する上で忘れてはならないのは、翻訳です。その多くは翻訳家で東京大学の名誉教授でもある柴田元幸氏によるものです。日本語が非常に面白く、読みやすく翻訳されています。原文と翻訳は内容は同じであっても使用する言語が違いますから、そっくりそのまま作品をコピーした、というわけにはいきません。柴田氏による翻訳も素晴らしいですから、ポール・オースターを始めて読む際は柴田氏の翻訳による作品をまずは手に取ることをお勧めします。